グリーン会ゴルフ

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「9年振りのゴルフ」

「久々のゴルフの感動を文章に書いてくれませんか?いや、もうあなたが書く、と皆で決めました。よろしく。」という水野プロからのE-mailには、「No.」と言えない圧力を感じた。     これは、まちがいなく、欠席裁判である。 しかし、覚えている最初のオリンピックが、札幌オリンピック、という私は、ダラスグリーン会では、若輩である。 体育会系の私にとって、先輩の命令は絶対である。 ということで、去る3月1日にStone River Country Club(元Aakira Country Club)での、2007年第一回Green会ゴルフに参加した感想をここに記す。            当方がゴルフを始めたのは、1997年頃であった。 日本での11年のキャリアウーマン生活、NYCでの極貧大学生生活、結婚、Floridaでの主婦学生生活、と勉強ばかりで、精神的に肉体的に息切れがしていた。 フロリダで大学を卒業したあと、決まっていた就職を蹴って、ゴルフ三昧と決めた。

コミュニティースクールのゴルフ教室でグループレッスンを受けたあと、近場のドライビング・レンジに通い始めた。 そこで、プロからレッスンを受けた。 幸運なことに、毎日のように訪れる私をドライビングレンジを経営するおっちゃんが気に入ってくれて、$6のボール一かご買って打ったあとは、無料で3-4かご打たせてくれた。 更に、毎週、Executive Courseを一人で回った。 体力をつけたかったので、すべて歩いた。 時には、ホールとホールの間をゴルフバッグをしょって走った。 南フロリダの気温98度湿度98%の炎天下の下でも。 お陰で、ゴルフを始めて4ヶ月で、100を切ることができた。  しかし、私のゴルフ生活は一年ちょっとしか続かなかった。 1999年の春に、双子を妊娠。 嬉しいことであったが、同時にそれは、ゴルフからしばしの別れとなった。 そして、2002年にフロリダからシンガポールに渡った。 そこでは、マレーシアで一回ゴルフをしたが、蒸し暑さに負けて、フロント9で止めてしまった。2004年の終わりにシンガポールからダラスに来た。 アメリカに戻っても、子育てが忙しく、ゴルフとは縁遠い生活を続けてきた。 そこへ、Green会のゴルフの会がある、と今年の総会で知り、名前を連ねた。 永迫会長からじきじきにお電話でお誘いを受け、夫も「行ってきなさい、いや、僕が子供を面倒みるから、君に行って欲しい。」とやさしい言葉。 夫のお陰で、今回、実現にいたったのである。当方の入ったグループは、泰子さん、山下さん、永迫会長であった。 ゴルフを長らくやっていないから、足手まといになるので、忍耐力のある人と回らせてください、と希望を伝えておいた。 確かに、度量の広いかたと組ませていただいた。

最初のホールでは、ティーでいきなり、空振り! 次のグループの人たちからの爆笑が聞こえてきた。 落ち込むどころか、自分でも笑ってしまった。 その後は、ゴロやら、空振りやら・・・。 でも、情けないというより、久々に外にでて歩けるという喜びのほうが大きく、ミスの度に笑いこけていた私であった。 ルールも忘れてしまっていたが、泰子さんがいろいろ教えて下さった。 9番ホールで、第二打をいきなり、1番ホールのティーに向けて打った私に、嫌な顔をせず、カートをそこまで運転してくださった山下さんには頭が下がる。 自分の打ったボールがどこへいったかわからない私に、永迫会長は、「僕が見ていて、どこにいったかわかるから、教えますよ。」と、大出血サービス。 ありがとうございます。 私は、こうやって、人に助けられて生きています。泰子さんと山下さんは、なんと私の両親と同じく、昭和一桁の方たち。 私の両親は一年ほど前までに続けて彼岸に旅立ってしまった。 一方、このお二方は、健康でおられ、ゴルフをされて、私よりずっと良いスコアで終えられた。 父と母を思い出して、少々しんみりした。 が、こうやってグリーン会という交わりの場所で、両親と同年代の方たちとゴルフが出来ることは、私にはかなえられなかった夢が与えられたようで、とても嬉しかったのである。              さて、結果は、うわーーー、135。 でも、9年ぶりだからいいか、と自己弁護。 それに、Stone(石) River(川)Country Clubのお昼のハンバーガーはとても美味しかった。 これを食べにくるだけでも、来たかいがあった。 私がハンバーガー、二つを食べた、と聞いた松田さんが、「皆にいーってやろ~。」 いいですよ。 皆に言う前に、今、ここで告白したから。ということで、水野プロ先輩、書きましたよ。 135が次は、120になるように、レッスンお願いしま~す。